意見や願望を「事実」から切り離す重要性
レポートの文章の特徴の一つに、客観性があります。
「客観的」の対義語は「主観的」なので、個人的な感想ではなく、多数の人が事実として捉える内容を述べないといけません。
このように言うのも、多くの人は、意見や願望が事実と混在しています。
「こうだと思う」や「こうだったらいいな」と感じるのは大切な感覚ですが、そういった主観的な内容は少なくともレポートに書くべきではありません。
「少なくとも」と言ったのは、通信課程で学ぶ以上、普段の思考から直していかなければ、この先の苦労が目に見えているからです。
例えば、通信生のなかには、「最近、通信教育課程が難しくなった」と言う人がいます。
どういう意味か聞いてみると、誰かがSNSに投稿していた内容らしく、本人も具体的に何がどう変わったかは分からないそうです。
ただ、その部分が分からないのであれば、事実とは認められませんし、そもそも述べるべきではありません。
こういった不確定な情報を平気で述べてしまう思考習慣を根絶するところから、真の学問は始まるということを理解して下さい。
「客観性の保持」とは
レポートに話を戻します。
このようなわけで、レポートにおいて個人の主観は読むに値しません。「こうだと思う」「こうだったらいいな」を排し、「こうである」という事実だけを記述する必要があります。
こういったレポートの原則は、「客観性の保持」という言葉に集約されます。
「客観性の保持」は、「内容の正しさ」と「根拠の提示」の2点に分けられます。
「内容の正しさ」については、多くの人が理解している通り、正しい内容であれば客観性があり、間違っていれば客観性がないということです。
先の例で言えば、もしも「通信課程の卒業率」や「制度上の変更点」というデータがあり、それを理由に「最近は通信教育課程が難しくなった」と帰結すれば、この結論には客観性があると言えます。
ただ、そのデータがデタラメだったり、一部を切り取っていた場合には、この結論には客観性はあるのでしょうか。
要するに、読み手としては、何をもってそれが正しい情報かを判断するかということになります。
したがって、レポートにおいて重要なことは、結論の正しさそのものではなく、根拠を示すことです。
それを示さない限りは、客観性の保持は不十分であり、学問として問題があるということです。
客観性を保持する引用
このようなわけで、レポートでは「内容の正しさ」は当然として、その正しさを読み手に示すテクニックが必要になります。
それが「引用」です。
引用とは、テキストや文献の一部を一字一句変えず、レポート本文に転載することを指します。自らの文章と文献の引用文が並ぶことで、自らの文章の正しさを提示できます。
なぜこのように言えるかと言うと、学問の世界では、先行研究の内容は正しいとされているからです。そのため、先行研究と同じ内容であるだけで、自らの文章の客観性も保持されるのです。
なかには、引用を多用して、文献のコピペのようなレポートを提出する人がいます、
ただ、そういった人は、引用の本来の目的を理解していません。
引用とは自らのレポートの客観性を向上させるために行うのであり、自らの文章に添えることで効果を発揮します。
あくまで、あなた自身の文章のサポートなので、あまりに長文を引用したり、多用したりすると、評価は下がるだけなので注意して下さい。
したがって、引用を行う際は、どこからどこまでが文献情報であるかを示す必要があります。引用文はカギカッコ(「」)に入れて本文から区別し、文の末尾には出典も載せましょう。