感想と鑑賞の違い
数あるレポートの中でも、一風変わったレポートが文学系科目のレポートです。
他のレポートと違って文学鑑賞を行うので、初めて勉強する人は何を書けば良いのか分かりません。思ったことを述べる読書感想文と区別できず、最初から敬遠する人もいます。
このページでは、文学系科目のレポートにおける文学鑑賞について解説します。
文学作品に対して考察を加える際、それが感想か鑑賞かは、分析的であるかどうかで決まります。
つまり、感想か鑑賞とは、主観的か客観的かです。
簡単に説明すると、作中人物の言動に対して、「自分がどう思ったか」を述べたら主観的な感想となります。一方、「その人は、なぜその言動を起こしたか」を述べたら客観的な鑑賞となります。
前者は一個人の意見なので科学的な分析となりませんが、後者は「そこから読み取れることは〜である。」と分析することが可能です。
このように客観的に分析することで、レポートとしての意義が出てきます。
文学鑑賞にはテーマが必須である
次に、文学鑑賞の方法について説明します。
文学鑑賞には「テーマ」が必須です。テーマがないと思ったことを述べるだけの感想になってしまうので、あらかじめ何について分析するか決める必要があります。
例えば、恋愛小説の場合、「作中人物がどのように恋愛に苦悩したか」というテーマを設定できます。このテーマに対して、「描写→鑑賞」を繰り返して分析することが、文学系科目の基本的な進め方となります。
そのため、具体的なテーマを設定したら、それに関連した描写をピックアップしましょう。
例えば、「これまでは、ただ子供とばかり思って見ていた私に、一人前の青年の姿を認めたアンリエットは、いかにも悲しそうに、ゆっくりと地面に目を伏せました。」(『谷間の百合』p.○○より引用)という描写を引用し、分析を行います。
科学的分析のポイント
続いて、分析のポイントについて説明します。
他の科目と同様、文学系レポートも科学的に考察する必要があります。これは、「心理学」や「社会学」など、別の分野と関連させることで可能になります。
例えば、心理学には「アイデンティティ」という分野があるので、アイデンティティに関する理論から自己に向けた視点に着目し、「貞操心」という観点を発見することができます。
先ほどの引用に対して、「貞操心」という観点から分析すると、次のようになります。
「これまでは、ただ子供とばかり思って見ていた私に、一人前の青年の姿を認めたアンリエットは、いかにも悲しそうに、ゆっくりと地面に目を伏せました。」(『谷間の百合』p.○○より引用)
引用したの描写は、〇〇の場面である。フェリックスに対して、母として接することを決めていたアンリエットであったが、久しぶりに再会した彼の姿を見て、その決意は揺らいでしまう。「いかにも悲しそうに」と「ゆっくりと地面に目を伏せた」という描写からは、自らの決意と貞操心により苦しめられる未来を予感していることが読み取れる。
分析のポイントは、「変化に注目すること」です。
つまり、「再開前のフェリックス像」と「再開後のフェリックス像」を比較し、なぜ「悲しい」という感情が起こったかを予想することで、テーマに対して考察を加えることができます。
その際、「いかにも悲しそうに」や「ゆっくりと地面に目を伏せた」という深層心理が現れる描写に注目します。
「いかにも」という言葉には、「わざとらしく」や「強調した態度で」という意味があり、なぜわざわざ相手に伝わるよう悲しそうな素振りを見せたかと言うと、自分にとって何らかの不利益があるからです。
その不利益とは何かを考えると、自らの内から起こる心理的な拘束と予想できます。それは夫に対する「貞操心」の現れであり、敬虔なカトリックとしてのアイデンティティに苛まれていると言うことができます。
このように、作中人物の言動から深層心理にまで踏み込むことが文学鑑賞です。その際、心理学や社会学の見地から分析することで、単なる感想ではない科学的な分析が可能になります。
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